最近思うのは、地位や権力を持つ者にEnpathyの力が欠けているととても周りが迷惑を被るということです。Enpathyは”共感”とも訳され、「他人の感情や経験などを理解する能力」を意味します。「ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー」の本の中でも語られますが、「誰かの靴を履いてみること」とも説明することができるかもしれません。
相手の靴を実際に履いてみて、その立場から見える景色を想像すること〜Enpathyの力を磨く教育は、現在の受験競争社会での知識ばかりを詰め込む教育の中で優先順位が低くみられがちですが、そういった詰め込み勉強よりもよほど大切です。
日本はまだまだそういった教育が遅れており、他人を援助することが苦手なように思います。コロナのためにギスギスした大事なものを見失うような社会にならないよう、そして多様なものの受け入れができる力を育てられるような教育が今後はより大切になってくると思います。
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